ひつじサミットで自分の過去に再会した話

2023年10月28日
ひつじサミット尾州へ行ってきました。
私の行った場所は、三星毛糸株式会社タキビコキャンパス

色んな出逢いと刺激を受けた中で、イベント内容からはちょっと外れた
スピンオフ的な私の奇跡体験をお話しますね。

目次

キッカケとなる出逢い

ひつじサミット当日、この日タキビコキャンパスで、1人の女性と出逢いました。

それは桃ちゃん。
名刺を頂くと、私が以前働いていた会社の方でした。←大手生命保険会社
桃ちゃんとはこの日が初対面でしたが、
・お互い1人で参加している事
・同じ会社で働いていた事
親近感もあり意気投合した私たちは
一緒にツアーに参加したり、結果ほぼ1日一緒に過ごす事になったんです。

ぼっち行動の多い私にしては、とても珍しい展開でした。

そんな中、びっくりな出来事がありました。
それは出身地の話になった時、桃ちゃんが言った一言から始まりました

出身は山口県なんです

え!桃ちゃんも?私も山口出身だよ

え!どこですか?私は下関です

下関?私もだよ!

私は〇〇町です

〇〇町?え!?マジで?私も〇〇町・・・

え!住んでた場所はここなんですけど、分かります?

分かる!私は〇〇幼稚園の近くの・・・

わかります!!〇〇幼稚園!妹が行ってました!


お互いピンポイントで場所が分かるくらい近い、近すぎる出身地!
徒歩圏内の超ご近所じゃないか!

出会ったのは、ひつじサミットの開催された岐阜。
2人とも岐阜じゃない所に住んでいるので、この日この場所にいるのはレアなこと。
私は9月に初めてタキビコを知って、この場所に来るのは2回目。
桃ちゃんもここに来たのは2回目だったとのこと。
参加者沢山いる中で、たまたま声を掛けて知り合った方が同じ出身地、しかも同じ町内って
ピンポイントすぎる出会い。こんなことってある?まさに奇跡と言えるんじゃないだろうか!

年齢的に被ってないけど、中学も一緒だし共通の知り合いいるかな?

桃ちゃんと私は、10歳近い年齢差があるので、桃ちゃんは新設された別の小学校出身でした。
(私の頃は1クラス47人くらいいて、1学年7クラスあったので小学校が新設された、そんな時代)
でも中学は同じ。とはいえ、学校の先生とかは多分かぶってないだろうな・・・
そう思いつつ、思い出しながら名前を上げる

池田先生、「ズシ」って呼ばれてた先生いたけど、知らんよなぁ・・

わかります!学年主任でした!!

え!ズシ知ってるの!?

池田先生は、理科の先生でちょっとクセのある個性の持ち主。

胃液は、
苦いんです・・・
酸っぱいんです・・・
ヒリヒリするんです〜!!!

苦いんです、酸っぱいんですのくだりでは、教室の後方斜め上を見上げながら熱い眼差しで語りかけるように話し、
ヒリヒリするんです〜!!にとても感情を込めてオーバーリアクションで言うので、
生徒にめっちゃモノマネされていました。
「チェッチェッコリ」をノリノリで踊ってたの覚えてる。お前らもこれくらいやれ!って言われたけど、
恥じらいの中学生(頑張るのがカッコ悪いという風潮の時代)できるかい!って思った記憶が蘇る。

懐かしいな〜。私、高校の頃はこのお店でバイトしててね・・

え!同級生です!ちょうど3日前に連絡取ったばかりですよ!

えええ!マジで?すごい共通点の嵐!!

学年全然違うのに覚えてる先生同じだったり、
私のバイト先だったラーメン屋は、桃ちゃんの同級生のお店だったり、
話すほどに共通の話題ができるので、驚きの連続でした。

これって確率的にホールインワンに近いくらいすごいんじゃない?
運命を感じてしまうレベルじゃないだろうか!?

こんな事あるんだ。。。

タキビコ、マジでパワースポットかも!この奇跡、今後何かに繋がる気がしています。

何かいい事がある気がする。こういう勘は当たるんだ。

参加前にFBに書いていた自分。やってきた、分かりやすいサイン。

…勘は当たった。

33年前の過去との再会

ひつじサミットで、桃ちゃんとの出会いから自分の過去と再会した私。
その過去は、人生初のバイト先、#山の田らーめん

懐かしくてサイトを検索し、お取り寄せしました。

らーめんを食べていて、当時の記憶がブワッと蘇ってきました。

ちょっと私の思い出話をしますね。

高校1〜2年の頃にバイトしていたので、今から33年くらい前の話。

フランス料理出身の先代マスターはラーメン屋さんらしからぬ、洋食シェフの被る長い帽子がトレードマークでした。「大将」とか「店主」ではなく、呼び名は「マスター」。

今は代が変わって「マスター」は別人なので、ここでは先代マスターと呼ぶことにします。

先代マスターは、あっさりとした中にコクがある、こだわりのらーめんを作る「職人」気質で人間的にはクセが強く、厳しいのでバイトが長続きしない(笑)なんて当時言われていましたが、私にはとても居心地が良いバイト先でした。

奥さんが本当に働き者で、そして一緒に働いていた大学生アルバイトのお兄さんも仕事ができる人で、早くあのレベルになれるように!と思ってせっせと働いていたのを覚えています。

超忙しくても、阿吽の呼吸で仕事のまわる店内。気持ちいいこと半端ない!
そんな世界でした。


先代マスター夫妻には、子どもがいました。
当時、男の子は小学生、女の子は幼稚園くらいかな?奥さんが夕方くらいに2人を連れてくるんです。

ちなみに、現マスターはこの時の男の子です。大きくなったなぁ。。

お父さんが働いている姿や、家族の交流時間をちゃんと作っていて(奥さん)偉いなぁ〜と思って見ていました。動くのは全部奥さんだったので、マスターより奥さんへのリスペクトが半端なかった私。(先代マスターはラーメンを作っているだけw、と当時は感じていましたね)

たまに夫婦喧嘩が勃発し、奥さんが子ども達を連れて実家に帰るんです。我慢強い奥さんが怒るんだもの、理由は100%先代マスターが悪いんだろうなって思っていました。

喧嘩した時の先代マスターのしょんぼり具合は見るだけで分かるぐらいで、背中に「反省」って書いてある感じでした(笑)
奥さん帰ってきた後は、いつも以上にぶっきらぼうなんですが「嬉しい!素直になれないこんな俺でごめん」って思いが透けて見える感じ。先代マスター、かわいかった・・・

そんな33年前の記憶。

最後にお店に行ったのは、15年くらい前に里帰りした時かな?

普通にお客さんとして家族で食べに行ったときのこと。
先代の奥さんが声をかけてくれました。

「きょうちゃんだよね!?」

名乗ってもいないのに、気づいてくれた事に感激しました。
その時はもう先代マスターは引退していてお会いできなかったのですが、
「3日くらい前に、ちょうどきょうちゃんの話しとったんよ」って言ってくれて。

覚えていてくれたんだ、、、そのことに胸が熱くなったなぁ。

最後にお店に行った時から18年、、、今回お取り寄せした際に、先代奥さんから直接お電話を頂いて
6年前に先代マスターが亡くなられたことをお聞きしました。

厳しいらーめん屋さんで人生初バイトをした経験は、私のその後の人生にも活きていて、
次にバイトした先の仕事が超余裕に感じるくらいでした。

私の仕事に対する感覚の基礎になったお店。

いい大人に出会え、良い仕事を見せてもらった思い出。

素敵な家族の在り方を見せてくれた事も、いい思い出。

そんな話を家族としながら食べるらーめんは格別でした。

またお取り寄せしようっと。

私のバイトしていた山の田らーめんのサイトはこちら

お取り寄せしたり、行ける方は直接食べに行って欲しいな。

とろけるチャーシュー、あっさりだけどコクがあるスープ、

贔屓目なしに美味しいらーめんです。

#山の田らーめん 皆様も是非ご賞味ください。

また下関に行った際にはお店に行こうっと。

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