現在はフリーランスのグラフィックデザイナーですが、
最初からデザインを仕事にしようと思っていた訳ではありませんでした。
デザイナーになる過程で、ちょっとこれは運命だったのかなと思う出来事があったんです。
2022年現在から遡ること26年前の話になります。
私が高校卒業後に選んだ進路は、大手自動車関連会社への就職でした。
当時バブルが弾けて就職戦線に翳りが見え始めた、そんな社会情勢でした。
・安定して働くことができそうなこと
・実家から遠い場所に行きたかったこと
・会社に寮があること
この3点の条件をもとに、なんとなくで選んだ会社でした。
配属先は、製造ライン。やることはエンジンの組み立てです。
いざ入社してみると、大きな会社で福利厚生はバッチリのホワイト企業。
製造ラインとはいえ、仕事は楽しく、環境にも恵まれていたと思います。
なのに、なにか物足りない。ぬるま湯に浸かって自分がふやけていくようなじわじわとした焦り。
このままここで結婚相手を見つけて、子供を産んで、守られながら安定した人生を送る
そんな安定レールに、退屈さと窮屈さを感じてしまいました。
もっと色んな世界を見たい!
そんな思いに駆られて、周りが大反対する中ホワイトな会社を2年弱で辞めるという選択をしたのでした。
さぁやるぞ!と思った私に突きつけられた現実。
その後、待っていたのは就職氷河期の洗礼でした。
会社を辞めたけど次の仕事が決まらない!自分の浅はかさを後悔しました。
でももう後戻りはできない。
住む所は当時付き合っていた彼と同棲を始めたので問題なかったのですが、
とりあえず何か仕事をやらなければ、ということで飛び込み営業の世界へ。
ハローワークで声をかけられた、生命保険会社の営業職でした。
いざやってみると、保険の知識は学びが多く、ビギナーズラックなのか成績も結構良かったのですが、
私のやることはこれじゃないという思いが強くなり、
空いた時間に給料のいい会社の面接を受けまくっていました。
30社ほどトライしては撃沈し、こんなに落ちると流石に凹んで
「自分は世の中に必要とされてないのかな…」と悲しくなっていた、そんな時
運命の転機が訪れてデザインの道へ第一歩を踏み出す流れになります。
運命の再会
ある日交差点ですれ違った人がふと気になり振り返ると向こうも振り返って目が合いました。
それは何と小学生の頃の友達。山口の友達と愛知県でドラマみたいな再会をします。
時間ある?お茶しよう!そう言って喫茶店に入りお互いの近況報告を話しました。
彼女とは中学が別々だったこともあり、小学校卒業以来の再会で10年振りくらいの再会でした。
しかも地元から遠く離れた街の交差点で。運命感じちゃうシュチュエーションですが、本当に運命だったと思う。
彼女は、大学の時に絵本を出版したこと。そのご縁で出版社に入社し、研修で1週間だけここに来ているんだ。
こんなところで会えるなんてびっくりした!すごい偶然だね、という話をしました。
私は・・・面接を受けにきたけど手応え的に今回もダメっぽいなと思った帰り道だったこともあり、
仕事で近くに来たんだと濁すことしかできませんでした。
夢を叶えてキラキラしている友人に自分の話は恥ずかしくてできなかった。
研修中でまだ配属先が決まっていないということだったので、彼女とはそのまま連絡先の交換もできずに別れました。
(今と違ってまだ携帯が一般的じゃない時代だったので、何かあったらお互いの実家に連絡です)
自分と向き合いなさいというサイン
帰りの電車の中で、自問自答します。
私は何をしたいの?どんな風に生きていきたいの?
自分の過去を振り返ってみました。
小さな頃からお絵描きが大好きだった私。
絵本を出版した友人とよく絵を描いて一緒に遊んでいました。
夏休みの絵画コンクール的なのは毎回何かしら賞を取っていて、将来は漫画家になりたいなぁ、が小学生の頃の夢。
「きっと私には才能があるんだ」そんな風に思っていました。
(見よう見まねで絵を描いているうちに、自然と色んな技法を使っていたのが入賞の決め手かな、と今では思います)
中学で油絵部に入り、何か絵を描いて生きていけたらいいな、と思っていました。
高校に入る際、私の住んでいる地域でデザインに関わる学科は工業高校の建築デザイン科しかありませんでした。
受験したいと先生に相談するも、当時の工業高校は実質男子校で女子も入学できるとは名ばかりの状況。トイレも職員用しかないし、環境が整備されていないからと断念するように説得され、別の高校の普通科へ進学しました。
自分が男だったら行けたのにな、って悔しかった。
高校では、悔しい気持ちを引きずっていたこともあり、美術部には入らず選択科目で美術をやったくらいでしたが、
2年生の頃に美術の先生と中学からの先輩に美大進学を勧められました。
今なら美大用の予備校に行って受験の準備すればまだ間に合うから、って結構熱心に勧めてくれたけど、家庭の経済的事情で進学は諦めなくてはならない状況でした。
予備校代、受験料、大学の学費、下宿代、画材費、もし合格できたとしても全部自分でお金を工面するのは、無理・・・
社会に出てからは、夢なんて忘れて生きていました。
そんな私にとって衝撃の出来事だったこの再会。
電車を降りて、会社には戻らずハローワークに直行し ”絵を描ける仕事” を探しました。
イラストレーター募集
求人情報を探していたら、パソコンで工業用イラストを描く仕事を見つけました。
テクニカルイラストという分野です。デザインではないけど、絵をかく仕事。
給料は現在の営業職よりも下がりますが、もう賃金なんて関係ないって思っていました。ダメもとでエントリーしてみよう。
そうしたらなんと、一発合格!
それまで30社以上落ちていたというのに!合格したということに驚きました。
それまであんまりパソコンに触ったこともなかった私でしたが
会社で働きながらグラフィックソフト(Adobe Illustrator)を覚え自由自在に使える技術を身につけることができました。
6年働いて、出産の為退社したのですが、ここで得た知識が今に大きくつながっていることは間違いない事実です。
その後のこと
その後も子育ての傍ら、自宅でパソコンとIllustratorを使って
友人や子供の習い事教室のお手伝いでチラシやホームページなどデザインデータを作ったり、ブログやSNSでハンドメイド作品を発信してみたり、そんな積み重ねがその後のデザイナーとして生きているな、と思います。
自分が進むべき道って、なんとなくガイドラインがあって、大幅に外れたことにはつながらない仕組みになっているのかもしれない。
振り返ってみると、そんな風に思うくらい導かれるような出来事だなって思います。
この時私に転機をくれた友人とは、後にも先にもこの時出会っただけで、その後接点はないまま今日まで過ごしています。
絵本のタイトルとかちゃんと聞いておけば良かったなぁ。
あの時あなたに出会えたことが転機になったんだ、ありがとう。って伝えたい。
彼女はきっと、私の人生のメッセンジャーとして現れてくれたんだと思う。
人は持ちつ持たれつで生きていると思います。
もし私のこの話が何か響くものがあれば、それはあなたへのメッセージかもしれない。
コロナの影響もあって、進学を諦めた人も多いと思います。
私も進学できなくて、諦めていました。悔しい気持ちすごくわかる。
でもね、夢は思い続けていたらきっと叶うよ。
今の時代は、YouTubeもあるし、webで検索すれば色んな知識を得ることができます。webから人と繋がることもできます。だから諦めないでね。
なんとなくそんなことを伝えたくなって書き記しました。
辛かったり崖っぷちだったりハードモードな人生なんですが、
ハードモードって見方を変えれば経験値の宝庫です。
実際の経験、体験が宝なのかもしれないですね。
読んでいただいてありがとうございました。